くれすと通信

クレメントストリートを舞台に日々奮闘しているオーナーシェフが、日頃思うことをつづった日記のような、ミニコミ情報誌のようなものです。ここでは、主な記事をいくつか紹介します。

竹島水族館に行ってきました (2019.08)

 竹島水族館って、ご存知ですか? 知らなくてもまあ安心してください。だって、日本で4番目に小さい水族館ですから。シャチのような目玉になる生き物はいませんから。水槽を軽く見るだけなら10分弱で歩き回れる狭さですから。愛知県にある人口8万人の地方都市(ちなみに函館市は25万人)が経営する水族館ですから。市からの予算は少なく、1962年に建てられた施設は老朽化し、来場者は減る一方。来場者には、

「つまんなかったね」

「なんだ、これで終わりかあ」

とささやかれ、一時は閉鎖の危機に直面していたんですから。

 そんな日本の地方都市の衰退を象徴するような、夢も希望もないようなところが、なななんと大変身。2010年度には12万人にまで落ち込んだ来場者が、5年後の2015年度には33万人、昨年は47万人に達するほどに。ついには、テレビ番組『ワールドビジネスサテライト(2018年7月27日放送)』と『激レアさんを連れてきた。(2018年11月26日放送)』でも取り上げられたんです。ちなみに愛知県には、竹島水族館の40倍もの敷地面積をもつ名古屋港水族館があります。それなのに地方の弱小水族館がなぜこんなに人気なのか。そんな疑問を自分の目で確かめるため、愛知県まで足を運んできました。

 前日東京入りして、5月16日(日)の朝、新幹線とローカル線を乗り継いで2時間半、掛川市にある竹島水族館に開館時間前に到着。一見、ウワサどおりのショボい施設です。周辺を散策して時間を潰し、9時20分頃、入場料500円を払って中に入ると、もうたくさんの家族連れが…。

館内に入ってまず目を惹いたのは、所狭しと貼られている飼育スタッフ自作の手書きPOP。水槽の中にいる生き物を見なくても、これだけ見て回っても超楽しいかも。ほかの水族館で見かける、図鑑から引用されたような難しい説明書きのパネルはありません。手書きPOPには、生き物のおもしろい特徴・性格・生態、ぷっーと思わず吹き出しちゃうダジャレ、飼育スタッフの苦労や生き物に対する熱い想いが描かれてるんです。ほかの水族館ではあり得ませんが、水槽の中で泳いでる魚が「おいしい」「まずい」とか平気で書いてるし。でも、考えてみれば、お客さんにしても、この魚って食べれるのかなあ、と気になるところですよね。こんなところからも飼育スタッフが、お客さんの心理をよく理解しているんだなあ、と感じました。

 竹島水族館で楽しめるのは手書きPOPだけじゃありませんよ。実は、生き物の展示方法がすごいんです。一番おどろいたのはウツボの水槽。ウツボって穴から一匹ずつ頭だけ出してるのが普通なのに、ぎゃ~、こんなに大勢が絡み合ってて、しかも体全体を表にさらけ出してるなんて超あり得ない!! ちょっと気持ち悪いけど、迫力満点です。それから、もうひとつ。魚の棲み家として水槽の中に入れてるブロックにはちゃんと部屋番号と名前が書いてある。かわいい~ (≧▽≦)

 子どもに大人気のコーナーは「さわりんぷ~る」で、めずらしい生き物に触れられます。ちなみに登別マリンパークニクスにもサメ、エイ、カブトガニに触れる「ふれあいゾーン」という似たようなコーナーがありますよ。竹島水族館では、タカアシガニ、オオグソクムシ、イガグリガニに手で触れられ、子ども達は大喜び。これらは深海に住んでいる生き物で、網にかかったモノを地元の漁師さんから分けてもらっているとか。

 アシカショーも大人気です。当日は日曜日だったこともあり、狭い会場はすし詰め状態。アシカのパフォーマンスよりも飼育スタッフのトークがおもしろいらしいんですが、とても見物できる状況ではなかったのであきらめました。もうひとつのアトラクションであるカピバラショーは12:30開演で、その時間まで待ってられず断念。まったく言うことをきかないカピバラと、おどおどする若い飼育スタッフが繰り広げるステージが、オバサマ連中に好評らしい。

 お土産ものコーナーもいろんな意味で充実してました。お魚やアシカのぬいぐるみなんかの定番商品もありますが、地元の食品製造会社とコラボして開発した、お菓子やドリンクのお土産が特におもしろい。一番変わったところでは、オオグソクムシを香り付けに使ったせんべい「超グソクムシ煎餅」。残念ながら当日は売り切れてました。ほかには「カピバラの落とし物」、「超ウツボサブレ」、「深海ギョのふりかけ」、「魚醤サイダー」なんてモノもありました。

 お菓子のお土産を買いませんでしたが、小林龍二館長が監修した本『へんなおさかな 竹島水族館の「魚歴書」』を旅行に出かける前に買いました。この本は、いちおう魚の図鑑なんですけど、館長をはじめとした飼育スタッフが履歴書の様式で生き物を親しい友人みたいな感じで紹介しています。この本がおもしろすぎて竹島水族館について興味をもつきっかけになったんです。

 おもしろい企画満載の竹島水族館。そんな水族館ならではの、おかしなエピソードがいくつもあり、Yahooニュースにも取り上げらました。例えば、小林館長は、飼育していたアシカのラブに好かれ過ぎてアシカ部屋に2時間半監禁されたことがあるらしい。詳しくは、このQRコードからアクセスして記事をご覧ください。ほかには、全国の動物園・水族館から選出された「へんないきもの」人気ランキングを決めるイベントがつい最近、開催されたんですね。最多得票で第1位に選ばれたのは、なななんと「グルメハンター三ちゃん」として知られる、深海生物を食べ続けてきた竹島水族館の飼育スタッフ、三田圭一さんでした。(≧∇≦*)

 時間的な制約で1時間半位しか滞在できなかったけど、竹島水族館のおもしろさを十分堪能しましたよ。満足、満足。結局のところ、お金をかけた立派な施設やすごいアトラクションだけに人が集まるわけじゃないんだな。お客さんに楽しんでもらうにはどうしたらいいか、スタッフが真剣に考え、創意工夫した結果、こんなに愛される水族館になったんだと実感しました。この教訓は、クレメントストリートにも生かして行きたいです。函館市の人口は減少傾向、仕事がないから学校を卒業した若者は、仕事を求めて札幌や本州の大都市へ流れていってしまいます。海外からの観光客の増加で観光産業は潤う一方、地元の人たちを相手にする商売は元気がなくなるばかり。函館本町で景気のいい話はほとんどなく、気がつけば安い居酒屋チェーンばかりがはびこるように。うちのような小さなお店は生き残れないのか、と真剣に悩んだこともあります。でも、竹島水族館が本当に大切なことを教えてくれたような気がします。必要なことは、やる気と創意工夫。いろんなことを試してやり続けていけば、いつか周りに認められ、愛されるようになると。

Cheersというバー (2019.07)

 このお店を始めようと思いついたとき、すぐに頭に浮かんだのがCheers(チアーズ)というバーのこと(ちなみに「cheers」は英語で、乾杯するときの掛け声です)。実は、Cheersは実在しておらず、アメリカのテレビドラマの舞台となるバーなんです。Cheersは、1982年から1993年まで11シーズンに渡って放映され、その後何度も再放送されました。残念ながら日本では放送されなかったので、日本人でこのドラマのことを知っている人は、当時アメリカに在住したことがある方ぐらいしかいないはず。アメリカのテレビドラマといえば、ちょっと前になるけど『フレンズ』(1994-2004)が日本でも放映され、ファンがいっぱい居たんじゃないですかね。Cheersは、あんな感じの一話完結型、30分間のコメディドラマです。

 まず、Cheersがどういうものだったか簡単に説明すると、マサチューセッツ州ボストンにある、地元の人たちが集うバーで展開される、おもしろ、おかしなストーリーなんですね。バーと言っても、日本にある一般的なカウンター席だけの施設ではなく、テーブル席もあるし、ビリヤード部屋もある、ちょっと大きめのモノ。主人公のサムは、元メジャーリーガー(あの松坂大輔が所属したボストン・レッドソックスの投手)で、引退後Cheersをオープンし、自身がバーテンダーをやりつつ経営してるという設定です。第1話で、Cheersにお客として偶然やってきたダイアンは、高学歴のお嬢さま。ひょんなことからCheersでウエイトレスとして働くことになります。ベテランウエイトレスのカーラは、気の強い、肝っ玉かあさんキャラで、若くて高学歴で鼻持ちならないダイアンのことが大嫌い。サムは、昔から変わらずプレイボーイ。ルックスがよくて、おつむの弱そうな女の子とばかり、これまで付き合ってきた。ダイアンのような優等生タイプの女性とは無縁。最初はサムとダイアンは口論してばかりだったが、いつしかお互い惹かれ合うことに…。そこにコーチという愛称のバーテンダー(元レッドソックスのコーチ)、常連客のノーム(求職中の税理士)とクリフ(郵便配達員)がレギュラーキャストで加わり、ストーリーが展開するというわけです。

 典型的なCheersのストーリーはこんな感じです。サムがグラマーな女性客を口説いているのを見たダイアンは、サムがチープな女の子しか相手にできない、知的な女性と付き合うのはムリ、と皮肉る。その態度に腹をたてたサムは、ダイアンを見返してやろうと、ある日、インテリそうな女性をCheersに連れてくる。聞こえよがしに教養のある会話を演じてみせたものの、ダイアンにすぐにバレてしまう。【シーンが変わって】オロオロした男性がCheersに入ってきて、ガスに相談したいことがあって遠路はるばるシアトルから来たと言う。ガスは以前のCheersのオーナーで、ここにはいないとコーチが伝えると、大学生の息子が黒人のフィアンセを連れてきたから、どう対応したらいいのか悩んでいるとのこと。するとコーチは、そんなことだったら人生経験豊富な自分が相談に乗ってやるから、と自信満々。それならと、息子が連れてきたフィアンセが黒人の「男性」だと告白されてコーチは大慌て。あまり深く考えずに、そんな息子なんか勘当すりゃいいんだよ、と言い放った。その言葉を受けてオロオロしていた男は、コーチの言葉を真逆にとらえる。自分がありのままの息子を受け入れるしか手はない、と勝手に解釈し、コーチに礼を述べて立ち去る。【シーンが変わって】サムがつくったドリンクを受け取って立ち去ろうとするダイアンを呼び止め、サムがダイアンの瞳について急に話し始めた。ある日、スキーをしていたときのこと。夕暮れ時になり、周りには誰もいない。一人でたたずんでいると、沈みゆく夕日で空がとてつもなくきれいな色に染まった。君の瞳は、あのときに遭遇した空のようにきれいだよ、サムは真剣なまなざしでダイアンを見つめる。ダイアンはその話にすっかり魅了されてうっとり。頭のいい女性は、いまの話なんかにダマされないよな、とサムがつぶやいて、ようやくダイアンが気がついた。なんだ、いまのはサムの殺し文句で、まんまと引っかかったことに。という感じで一話が終わりなんですが、文章にするとなんか味気ない。でも放送を何回観てもひとりで大爆笑します。(家族には不気味がられますが…)

 普段ドラマとか全然興味ないボクが、なぜこのテレビ番組がハマったかというと、巧みなストーリー展開と登場人物がみんな親しみのある愛されキャラというところ。日本のドラマのような敏腕弁護士とか天才外科医とかいう、何かすごい才能のある特別なキャラではなく、ある意味みんな普通の人。そして、それぞれがどこか欠点やコンプレックスがあり、どこか共感できるんですね。例えば、サムはレッドソックスで現役のときアル中になり引退し、いまでもお酒はいっさい飲まない。ダイアンがCheersで働き始めるきっかけとなったのが、婚約者に捨てられたから。カーラは、ダメ男と離婚して、女手一つで4人の子どもを育てており、苦労続きの毎日などなど。

 Cheersが何よりうらやましい、うちの店があんなふうになったらうれしいなと思うことは、お店がいつも常連さんでにぎわっているところ。お店がなんか、ひとつのコミュニティになってるんですよね。例えば、ノームが来店すると、スタッフとお客さん全員で「ノーム!」って叫ぶんですよ。いいなあ、あの感じ。誰か知ってる人がお店に入ってきたら「○○さん、いらっしゃい!」ってボクも言いますが、Cheersのような一体感やにぎわいは…。あの料理が食べたくて、海外ビールが飲みたくて、という理由でやってくるお客さんがいるのは、それはそれでうれしいです。でも、ボクなり、スタッフなりと話したくて来てくれるお客さんはやっぱり特別。お客さんとスタッフがいっしょに騒いで笑って。帰り際に「おいしかった」と言われるより「楽しかった」と言われるお店がボクの目指すところです。

 そんなCheersの魅力を番組のテーマソングが実にみごとに表現しています。曲のタイトルは「Where Everybody Knows Your Name(作詞:Gary Portnoy & Judy Hart Angelo)」っていうんですけど、歌詞をみればボクのいいたいことが理解できると思うので紹介します。

 

Making your way in the world today takes everything you've got.

Taking a break from all your worries sure would help a lot.

Wouldn't you like to get away?

Sometimes you wanna go where everybody knows your name.

And they're always glad you came.

You wanna be where you can see the troubles are all the same.

You wanna be where everybody knows your name.

You wanna go where people know people are all the same.

You wanna go where everybody knows your name.

 

この歌詞をボクが勝手に訳してみました。

一生懸命がんばっても思いどおりにならないことってあるよね

いろんな心配事を忘れて、ちょっと休んでみるのもいいかもしれない

現実から逃げ出してみたくないかい?

ときどき行きたくなるよね

誰もがあなたの名前を知ってる、あの場所へ

よく来たねって喜んでくれる、あの場所へ

ここに来ればわかるんだよね

みんな悩みを抱えてるってことが

誰もがあなたの名前を知ってる、あの場所にいたいよね

みんな同じだってことが、わかってくれている

あの場所へ行きたいよね

誰もがあなたの名前を知ってる

あの場所へ行きたいよね

 

 このテーマソングはYouTubeで公開されています。「Cheers Intro In Full 1080P HD (Thank You HDNet)」というタイトルを検索するか、以下のリンクで見つけてください。ピアノのソロ演奏で始まる素敵なメロディはすぐに耳に残ると思います。

https://www.youtube.com/watch?v=rS0VQOHX7lM

 Cheersは、ボクにとって理想のお店です。お客はみんな顔なじみ。いつ行っても暖かく迎え、嫌なことがあっても、ここに来れば元気になれる。そんな場所と多くの人たちに思われることが、クレメントストリートの大きな夢なんです。

 蛇足ですが、Cheersは実在しないバーと冒頭で言いましたが、このテレビ番組を制作するにあたってモデルとした実在する場所がボストンにあります。お店の許可を得て、外観を番組で使ったとか。1969年創業の「Bull & Finch Pub」という名前のバーだったんですが、Cheersが大ヒットしたおかげでボストンの観光名所になり、「Cheers in Beacon Hill」に店名を変更したとか。実は、ボクが留学していたときに、このバーに行ったことがあるんですよ。外観とバーの入り口にある下り階段はテレビ番組そのものだったけど、店内の中は狭くてカウンター席だけのお店でした。でも、カメラアングルで映る部分がちゃんとテレビ番組どおりに再現されていて、いやいや、めちゃくちゃうれしかった。あのときの感動を思い出し、「目標はCheers!」で、これからもがんばります (^o^)/

飛行機にまつわるトラブル体験談 (2019.04)

 お店を始めてからというもの、飛行機に乗る機会がずいぶん減りました。以前、海外コンサルタントの仕事をやってた頃は、フィリピン、ミャンマー、ネパール、ブータンの業務を掛け持ちでやってた時期もあり、多いときで年間40回くらい飛行機に乗ってたことも。委託業務の契約上、1回の海外出張が終わると必ず一度帰国して業務を完了させなきゃいけなくて、やたら飛行機に乗ってたんです。例えば、ネパール出張のあと、すぐお隣のブータンへ出かけるときでも、ネパールのカトマンズからブータンの首都ティンプーへの直行便で飛ぶことは許されず、カトマンズ⇒バンコク⇒成田⇒バンコク⇒ティンプーという渡航ルートになってました。

 飛行機に乗る回数が増えると、当然トラブルに遭遇する可能性も増えますよね。加えて出張地域が、東南アジア、中米、アフリカだったから、実にいろんなことが起きたんです。そんな数々のトラブルの中からベスト3をご紹介しようと思います。

 

【第3位】南アフリカで不法滞在者扱い?!

 それは2010年にアフリカのザンビアへ出張したときの出来事。そう、2010年は南アフリカでサッカーのワールドカップが開催された年です。6月に開催される前だったので、確か2月か3月頃だったと思います。ザンビアへ出張する時は、羽田⇒香港⇒ヨハネスブルグ(南アフリカ)⇒ルサカ(ザンビア)というルートを使ってました。片道20時間くらいかかったから、かなりの長旅です。ワールドカップが開催されるということで、南アフリカ一番の玄関口と言えるヨハネスブルグの空港は拡張、整備されてました。それまでヨハネスブルグで飛行機を乗り継ぎしたことが何回かありましたが、国際線乗り継ぎカウンターを経由してターミナル内を移動するだけで、南アフリカに入国したことはなかったんです。きれいになった空港を少し見てみたいし、ワールドカップ開催地のワクワク感を味わいたいなあ、とヨハネスブルグ空港で入国手続きしたんですね。といっても空港内を1~2時間ちょっとウロウロしただけで、ルサカ行きの飛行機に乗るため国際線出発ターミナルへ移動しました。そしたら出国審査で止められちゃったんです。出国審査の係員は女性で、そんな怖い感じではなかったのですが、理由も言わずについて来いと言い、誘導されました。トランジットで1~2時間滞在しただけだし、危険物を何も持ち込んでないし、引き留められる理由がない。あらぬ疑いをかけられたらどうしよう、と不安になりました。それで連れて来られたのは、100メートルほど離れたところにある、もうひとつの出国カウンター。そこで別の係員とひと問答ありました。

係員「入国したのはいつ?」

ボク「今日だけど。トランジットだけで、これから

   ルサカへ行く」

係員「なんだ、1年間滞在してたんじゃないんだ」

ボク「???」

 そこでわかったのは、ヨハネスブルグ空港で入国手続きをした係員が新人さんで、出入国管理システムにボクの入国日を「2009年x月x日」と1年前の日付を入力しちゃったらしく、システム上では南アフリカに丸1年間滞在してたことになってたんです。ようやく誤解が解け、システム上の入国日を修正してもらい、やっとこさ出発ロビーへ進めました。いやいや、こんなことがあっていいの?!という体験でした。

 

【第2位】ドゥマゲッティは遠かった...

 それは2014年に妻と二人で年末年始の休暇を使って、フィリピンのネグロス島ドゥマゲッティへスキューバダイビング旅行に出かけたときの話。大みそかに羽田を出発してマニラに着き、国内線に乗り継いでセブ島まで飛んで1泊し、翌朝の便でドゥマゲッティへ飛ぶ計画でした。マニラに無事到着し、入国審査を済ませて国内線ターミナルへ行くと、台風がセブ島を直撃したようで、搭乗予定の便は遅延とのこと。セブ行きの前便は無事運行していたから、遅れてもセブにたどり着けると信じてました。飛行機には予想どおり搭乗でき、1時間のフライトで、もうすぐセブに到着~と思いきや、強風のため着陸できるかどうかわからない、というアナウンスが…。機体の高度を下げ、着陸態勢に入ったけど、危険だということで急上昇。もう一度トライとか言って、また着陸態勢に入ったけどやっぱりダメ。怖い思いをさんざんさせた挙げ句、飛行機はマニラへ引き返しちゃいました。それから大勢の乗客に混じって翌日の代替便の手続きを済ませたら、もう夜中の2時。結局、空港のロビーで一夜を明かし、翌日のお昼にようやくセブに着きました。

 そのあとのセブからネグロス島のドゥマゲッティへの移動がさらにヤバいことに…。年末年始の帰省ラッシュと重なったため、セブ-ドゥマゲッティ間の飛行機は満席。フェリー乗り場にも行ってみたものの、前日のフェリーが欠航したため、どうにかして帰省しようと待機しているフィリピン人でごった返していて、チケットを買える見込みもない。しかたなく諦めて、セブで1泊。今度はセブ島の南端(リロアンという町)までバスで行き、そこからフェリーで渡る計画を立て、早朝バスターミナルへ行ってみると、すでに長~い行列が…。ええい、もう最終手段。タクシーを使ってリロアンへ行くっきゃない! すぐにタクシーを止めて値段交渉。どうにかリロアンまで移動する手段を確保しました。タクシーでの3時間の道中、モアルボアルという町が浸水していて、かなりヤバい状況だったけど、どうにか通過。リロアンに着くと、ドゥマゲッティ行きのフェリーにすぐに乗船でき、3O分程でついにドゥマゲッティに到着しました。いやいや、3日間も右往左往することになり、冷や汗タラタラでしたよ、もう。

 

【第1位】おいおい、いつになったら出国できるんだ?

 またまたザンビアへ出張するときに発生したトラブルです。いつもどおり、羽田⇒香港⇒ヨハネスブルグ⇒ルサカのルートで渡航する予定で、夕方5時発なのに午後1時過ぎには羽田空港に到着。早めにチェックインして空港ラウンジで仕事するつもりでした。香港行きのC航空のカウンターに行くと、台風が香港を直撃して欠航したと知らされ、成田発ユナイテッド航空シンガポール行きの便を手配するから、とのこと。成田⇒シンガポール⇒ヨハネスブルグ⇒ルサカにルート変更です。2時間程待たされて、成田発の便に振り替えになったほかの乗客10人といっしょに、ボクらのためにチャーターしたエアポートバスで成田空港へ移動しました。これでユナイテッド航空の飛行機に乗れてたら、たいした問題ではなかったのに、ユナイテッド航空の出発カウンターでチェックインしようとしたら、係員さんがキョトンとした顔してて…。もう出発15分前だから、とっくに搭乗受付終わってるよ、だって。え~、なにそれ? C航空の係員は、チェックインに間に合うように手配してくれてなかったんですよ。いや~、海外でならまだしも、日本でこんなトンチンカンなことが起こるなんて、びっくり。事情を説明してユナイテッド航空の係員にC航空(あえて名前を出しませんが、香港行きのC航空と言えばすぐにピンと来るのでは?)に電話してもらいました。すぐにC航空の人がやってきて、平謝り。申し訳ないが、夜10時発のエミレーツ航空ドバイ行きの便を手配する、とのこと。成田⇒ドバイ⇒ヨハネスブルグ⇒ルサカに再度変更です。一刻も早く出発しようと思えば、ほかに選択肢はないし、あこがれ(世界一の接客サービスらしい)のエミレーツに乗れるんだったら、まあいいか。空港内で時間を潰し、10時前にようやくエミレーツ機に搭乗。いやいや、飛行機に乗るまで時間かかったよなあ。こんなことってあるんだなあ、と感慨に浸ってたら、話はここで終わりませんよ! 出発予定時間になっても飛行機が動かない。計器にエラーが表示されてて、原因がわかるまで出発できない、とのアナウンス。しばらく待ってると今度は、成田空港には夜間飛行制限があり、夜11時以降、飛行機は飛ばせません、だって。まさか、まさか、と思っていたら、案の定、11時になってもエラー表示の問題は解消されず、出発は翌日までお預け。せっかくエミレーツの飛行機に乗れて、いい気になってたのに…。搭乗口に連れ戻され、出国してないのに帰国手続きし、重いスーツケースを回収して、ロビーで待機。航空会社が用意したバスに乗せられ、空港周辺のホテルへ行くのかと思いきや、あれあれ? バスは1時間近く走って連れて来られたところは、なんと成田から60kmも離れた浦安。そう、東京ディズニーリゾートのあるところです。ホテルに着き、チェックインを済ませて部屋に入ると、もう夜中の2時。さすがに参りました。

 翌朝、代替便についての連絡はなく、ホテルのレストランで朝食を食べていると、まわりは家族連ればかり。それもそのはず、ここはディズニーランド、ディズニーシーのお膝元ですから。これから遊びに行くホテル客はみんな、もうウキウキしているのがガンガン伝わってきます。あ~、いまごろは出国してるはずなのに、なんでこんなところに一人でいるんだろう??? あたりを見渡してみると、家族連れに紛れて、端っこのほうに一人で朝食食べてる外国人のおじさんがポツポツ。間違いなく同じ飛行機に乗ってるはずだった人たちです。疲れた顔してるけど、自分も同じような顔してんだよ、もう。

 結局、ランチもホテルで食べるという時間になって、午後2時にロビー集合、代替便は夕方5時発という連絡がありました。今度は時間どおり離陸して、ドバイで1泊。翌日ヨハネスブルグ経由でザンビアのルサカにようやく到着した次第です。蛇足ですが、エミレーツ機のトラブルは、新モデル機の初フライトだったから、なれない準備をやってるうち、なんらかの操作ミスを犯してエラー表示されたとか。機体にはなんの問題もなかったみたい。ホントに人騒がせな話です。

 

 以上が私の体験した飛行機にまつわるトラブルでした。こうして書き連ねてみると、いやいや、どれもこれもとんでもない話です。危険な目に遭っていないのが不幸中の幸い。でも、こんなトラブルはもう勘弁。快適な空の旅を楽しみたいです。

ベトナム満喫ひとり旅パート2(2019.02)

 昨年11月に出かけたベトナムのハノイとヴィンひとり旅パート2です。ハノイで1泊したあと、よいよ列車でヴィンへ移動。300キロの道のりで、実に7時間もかかります。なんせ線路が単線なもんで、対向列車の通過待ち停車がやたら多くてムチャクチャ遅いんです。

 昼間の移動なんですが、寝台車を取りました。ひとり旅で心配なのはスリと置引き。寝台車だと4人または6人部屋で、指定席の切符がない人は入ってこれないから安心なんです。それに長旅なので、ベットに寝っ転がって、本を読んだり、昼寝したりと、マッタリできます。今回、同室のお客さんは、40代の警察官のおじさんだけでした。53歳の日本人で、これからヴィンまで行く、昔ヴィンで3年間働いていてたからベトナム語がちょっと話せる、と自己紹介したら、ビールに付き合わされることに。夜に備えて飲まないつもりだったのに… (>人<;)。缶ビールを3本ずつ飲んだら、おじさんはいい気分になり、寝ちゃいました。(^-^)

 昔と比べたら、ハノイの駅も寝台車もムチャクチャきれいになりました。ヴィンのほうはというと、駅舎自体はきれいになったけど、なんか相変わらず。だって、タクシーがホームに乗り込んできてるし。このローカル感、笑っちゃいます。でも、駅を出ると、え~、なにコレ?! 以前は駅前に小さな市場だけしかなかったのが、映画館の入った複合施設と大きなホテルが建ってる!! 友達に迎えに来てもらい、バイクの後ろに乗っけてもらって、街の中心方面へ向かうと、さらにびっくり。13年前、高い建物はせいぜい6階建てのホテルくらいだったのが、いまは20階くらいあるマンションがいくつもある。ヨドバシカメラをパクったような大型電器店、外観はやたらゴージャスなカラオケ店、おしゃれなショッピングモールもあり、もう言葉が出てこない。まさに高度経済成長ってこういうことなんですね。

 外食産業だって負けてない。ここに住んでいた頃は、ベトナム料理店しかありませんでした。そんな地方都市にKFCとピザハットってウソ!!フライドチキンやピザをヴィンの人が食べるんだ? 韓国料理のお店もある。そして、和食店も…。『将軍』という名前のレストランで、なぜか剣道の防具が入口に。どんな料理が出てくるんだろ? ちょっと気になるけど、やっぱり怖くて入れない。そことは別に和食のお店が郊外にありました。ベトナム人女性と結婚した日本人が営んでるらしいです。

 そんな街のあまりの変化に驚き…。いやいや、ヴィンに来た目的はそんなことじゃないでしょ。そうそう、3年振りの訪問を心待ちしている輩がいるんです。昔の飲み仲間と職場の同僚が手ぐすね挽いて待ってるんですよ。ヴィン滞在は5泊6日で、飲んだ回数はなんと10回。お昼と夜のダブルヘッダー以外に、夕方5時とかに飲み会が入ってるんですよ、勝手に。昔は飲み仲間がひとつのグループで、みんな一緒に飲みに行ってたのに、月日が経って、そのうちの何人かが転職したり、独立したりで、バラバラになったみたい。その連中が別々に誘ってくるんです。というか、正確にいうと、連絡もなく勝手に飲み会をセットしちゃうんですよ。まあ、時間と肝臓が許す限り、お付き合いしますよ。連中と飲むのは掛け値なしに楽しいですから。ただ、ふと不思議に思うことがあるんです。こんな片言のベトナム語しか話せない日本人になんでやさしくしてくれるんだろ? こんなに喜んでくれるんだろ? ちなみに、ヴィンでの飲み代は全部向こう持ちです。払わせてくれないし、いくら言ってもムダなのがわかってるから、もう遠慮もしない。ただ、楽しく飲んで騒いで笑って酔っぱらって…。

 実は、ヴィンに来ると、ひとつだけ笑ってられない問題があります。飲み仲間グループのメンバーがビジネス上のトラブルで、何年か前にケンカ別れしちゃったんですよ。グループのリーダーAさん(仮)ともめて独立しちゃったBさん(仮)とも仲良かったから、当然、Bさんも飲み会を仕込んじゃうんですよね、勝手に。すると、やっぱりAさんはやっぱり気に入らないんです。Bさんといっしょに飲んだって言わなくても、こういうことって、すぐバレちゃうし。それで今回、Aさんと口論になりました。なんであんなヤツと飲みに行くんだ!みたいな感じで問い詰められても、自分の語学力ではちゃんと説明できない。それでも、二人に何があったかわからないけど、二人とも自分にとってはかけがえのない仲間なんだ。自分がヴィンに来ていっしょに飲みたいって言われれば飲みに行くよ。だって、みんなに喜んでもらうためにここに来たんだから。Bさんといっしょに飲みに行ったところで、おまえとの信頼関係や友情は変わらない。だから、自分の立場もわかってほしい…、と知ってる言葉を使って一生懸命説明しました。う~ん、なんとか理解してくれたような。誤解のないよう言っときますけど、決して『おっさんずラブ』ではありませんので。

 仲間といっしょに飲む以外に、立ち寄りたいところが今回2箇所ありました。ひとつは、朝食をよく食べに行ったフォー屋さん。以前は朝7時には、もう完売してたりするので、6時半に食べに行って、そのあと7時にはオフィスに出勤して仕事に取りかかるという、超朝型の生活をしてました。久しぶりにお店を訪ねると、昔お店をひとりでキリモリしていたおばちゃんはいなくて、家族か親戚の人がお店をやってました。でも、フォーの味は変わらず、おいしかった。ごちそうさまです。

 もうひとつは、仕事帰りにひとりで立ち寄っていたビアホイ屋さん(「ビアホイ」とは生ビールの一種。熱処理される前のビールを工場で直売しているモノで、1杯20円位)。ここで週1~2回、ひとりでビールを飲みながら、ぼーっとするのが癒やしの時間だったんです。このお店を営んでいる夫婦は、外国人だからって特別扱いもせず、適当に構ってくれたのでホントに居心地よかった。当時まだ小学生だった、かわいい娘さんはどうしたの?って聞いたら、もう結婚して子供もいるって言われちゃいました。なんだ、この夫婦、もう孫がいるの~!

 商売繁盛してるようで、お店を拡張して倍の広さになっていました。、おつまみは以前、乾き物しかなかったのに、料理も提供。せっかくなので、何か食べようと思い、メニューを見せてもらったら、あった!! ヘンサオ(Hen Xao)という、しじみの炒めもの。これを胡麻入りの米粉でできた、薄い煎餅(Banh Da) に載っけて食べるんです。いやいや、めちゃうま。ここで食べれるとは思ってなかったので、喜びもひとしお。ビールを4杯も飲んじゃいました。

 ヴィンを発つ日には飲まないつもりが、なんか知らないうちに隣り街まで連れて行かれちゃいました(これはもう完全に誘拐です)。どういうこと!?と思ってたら、そこは飲み仲間の実家でした。そこで、最後の宴会が…。最後の最後までホントにもう、と呆れてしまいましたが、こんな連中と次に飲めるのはいつ?と考えると、まあしょうがない。最後まで飲んだくれてしまったヴィンの旅でした。みんなありがとう。また来ま~す。\(^o^)/

ベトナム満喫ひとり旅パート1(2018.11)

 11月5~14日、ベトナムのハノイとヴィンへひとりで出かけてきました。2002年から2005年までの3年間ヴィンで働いたあと、ベトナムを訪問するのは4回目。何度行っても飽きません。ベトナムの経済成長はハンパなくて、街が、人々の生活が訪れるたびにドンドン変わってきているのが実感できます。その変化を見るのはとても楽しい。それから、ベトナムには、お店で出しているフォーや生春巻き(ゴイクン)、汁なし麺以外にもいろんな料理があるんですよね。街を歩き回り、いろんな料理を試してみて、新メニューを考える。ホントにワクワクします。そんな楽しいベトナムを2回に分けて紹介したいと思います(2回で終わるかな、笑)。

 ベトナムへの入国は驚くほど簡単になりました。社会主義の国だし、入国審査は少し緊張するんですが、今回入国カードの記入は必要なく、帰りの航空券もチェックされませんでした。審査官にベトナム語であいさつすると、少し驚いて、それからはニコニコ。こんなところにも時代の変化を感じてしまいます。

 今回、ハノイのホテルは検索サイトでネット予約し、空港からの送迎も手配したので、超楽ちん。さらにベトナム国内で使えるSIMカード(10ギカのデータ通信、15日間有効で750円)を事前にネット購入していて、空港ですぐにスマホが使えるように。いやいや、こんなにラクしちゃっていいのかなって感じです。

 羽田から夜行便に乗り、朝早くハノイ国際空港に着き、お昼前にはホテルにチェックイン。部屋に入ると、ベッドの上にこんなものが(写真3)。50を過ぎたオヤジのひとり旅に、これはないだろう。ベトナム人は、こういうサービスが大好き。そばにベトナム人が居たら、「デップ(きれいĐẹp)」って言ってあげると大喜びしますよ。

 さっさと荷物を整理してシャワーを浴び、時間をムダにすることなく、いざ街へ。ホテルはホアンキエム湖のすぐ北に位置する旧市街地の中。ここは観光地でもあるけど、ハノイの下町で、庶民の生活が垣間みれます。通りが複雑に入り組んでいて、いまでも迷っちゃう。でも、それも楽しみのひとつって感じ。旧市街地には、金物屋街だったり、靴屋街だったり、繊維街だったりで、同業者が集まってるんです。さらにバックパッカーが集まる安宿街があり、外国人旅行客相手の飲食店やお土産物屋さんがたくさんあります。

 今回予約したホテルは、実は有名な汁なし麺のお店のすぐ隣。ここの汁なし麺が大好きで、コレを参考にしてお店のメニューを作ったくらい。地元のベトナム人にも、外国人旅行客にも人気があり、いつも混み合ってます。お店を覗くと案の定、行列ができてたので、とりあえず諦め、以前行ったことのあるブンチャーのお店へ(汁なし麺は夜食べました)。ここも人気店だけど、すぐに席につけたからラッキーでした。ブンチャーのところも汁なし麺のお店のように、提供する料理は基本一品だけ。美味しかったら、クチコミでお客さんがドンドンやってきます。ベトナム人は立地を気にしないらしく、誰がこんなところにあるお店を見つけるんだ!?って思うくらい、入り組んだ路地の先が繁盛店だったりするんです。

 ベトナムは朝ごはんを外食するのが基本で、朝飯天国。フォーやブン、バインミー以外にいろいろあります。ちなみにバインミーは、朝食というより子どものおやつみたいな感覚です。お粥(チャオCháo)やおこわ(ソイXôi)、蒸し春巻き(バインクオン Bánh cuốn)をお店や露店で食べてるのをよく見かけます。一食3万ドン(150円)からですね、感覚的には。ボクは無料の朝食をホテルで食べないで、ついつい外に食べに出ちゃいます。

 今回、新しい朝食を見つけました。ホアンキエム湖の西側にある聖ヨセフ大聖堂の近くで、繁盛しているお店。料理はバインカイン(Bánh canh)という、伊勢うどんくらい太いタピオカ粉の麺でした。初めて食べた感想は、うーん、パス。太い麺はコシがなく、スープはあっさり。写真ではわかりづらいですが、ティットカイン(Tiết canh)という豚の血を固めたものが入ってます。血なまぐさいわけではないですが、日本人観光客には無理かな。

 街をぶらぶらしてると、いろんな光景に出くわします。ホアンキエム湖沿いで、早朝からエアロビやってるオバチャン達。バトミントンも人気です。あと、聖ヨセフ大聖堂みたいな見栄えのする建物や公園なんかでよく見かけるのが、結婚式用の写真撮影。式の1ヶ月前とかにウエディングドレスをまとい、スタジオでの撮影以外に屋外でも写真を撮るんです。それで披露宴の会場にポスター大の二人の写真が飾られます。お国の違いを感じますねえ。

 ハノイのナイトライフも楽しみにしてきました。暗くなってから飲み屋街を歩いてみると、3年半前と比べて、なんか雰囲気が違う。以前はローカル色が強く、ビヤホイ(生ビールとはまた違う、現地の人が飲むビール1杯30円位)とローカルなツマミでした。それが今回、外国人観光客相手のお店に変わり、サイゴンやタイガーなどの瓶ビール(1杯400円位)。ツマミも外人用のメニューになってました。なんかもう、バンコクのカオサン、ホーチミンのファン・グー・ラオと同じ、若い外国人観光客が飲んで騒ぐだけの場所ですな。

 ところでハノイで買うお土産は、何がいいと思いますか? 定番だとシルクのスカーフ、刺繍巾着、お茶、コーヒーなどなど。でもボクの場合はベトナムらしくないけど、ずばりアウトドアグッズです。なぜかというと、ノースフェイスとかアウトドアの大手メーカーの工場がベトナムにあり、メイドインベトナムの製品が安く出回ってるから。例えば、日本で買えば絶対1万円以上するGORE-TEX製のジャケットが、なななんと2,000円ほどで買えちゃう。最初は、模造品?それとも粗悪品?と疑ってたけど、実際に買って帰って使ってみたら、全然問題ない。ただ、日本のお店で売られてるものと比べてみると、デザインがちょっと古かったり、ベーシックなものしかなかったり。それさえ我慢できれば、超お買得なんです。

 以上、ハノイの旅でした。次回は、3年間の思い出の詰まったヴィンの旅を紹介します。

英語の勉強方法について (2018.09)

 20歳で初めてアメリカへ行ったとき、ボクの英語は全然ダメでした。5年間通った工業高専での英語の授業は少なく、大学受験もなかったから、渡米当時の英語は、ホントに中学レベル(しかも英語は得意じゃなかったし)。一番最初にTOEFLを受験したときは、確か400点程度でした。TOEFLは主に留学したい人が受験する英語力テストで、アメリカの大学へ留学するには最低 500点必要です。これじゃあ、留学なんて夢の夢。それから、日本でアルバイトしながら独学で勉強して、2回目の受験で520点までどうにかスコアを伸ばし、見事アメリカ留学を実現できました。留学したあと、東京でサラリーマンを経験し、青年海外協力隊でフィリピンに派遣されたとき9年振りにTOEFLを受けました。すると、びっくり630点(ちなみに満点は700点です)。かなりのレベルアップです。TOEICのほうは10年程前に一度受験しただけで、970点(満点は990点)でした。

 というわけで、何が言いたいの? 自分の英語力を自慢したいの? と思った方がいるかもしれませんが、違いますよ。実は、僕だって英語にはいまだにコンプレックスがあるんです。仕事で長い期間海外で生活し、セミナーで講義したり、海外の要人が出席している会議でプレゼンしたり、英語で報告書を書いたりしてても、やっぱりネイティブのようには話せない、書けないんですよね。小さい頃、海外で何年か生活した日本人はネイティブスピーカーのように英語を話せますが、何年かかっても、英語がそこまで上達しませんでした。

 それから、英語を日本語(または日本語を英語)に訳すのがすごく苦手です。頭の中では英語の意味がちゃんと理解できているつもりでも、日本語に訳せと言われると、日本語ではなんかうまく表現できない。適切な言葉が見つからない、ということを何度も経験しました。海外での仕事を辞めて6年近く経ち、久しぶりに英語でしゃべろうとすると、言いたいことがなかなか口から出てこない。英語力が日に日に低下しているのを実感してて、ちょっとイヤな気分になります。

 お店でTOEICカフェ(TOEICのスコアアップをサポートする教室)をやっていることもあり、英語力をつけようとがんばっている学生や社会人に会う機会があります。英会話教室に通ったり、独学で勉強したり、英語の勉強方法は人それぞれ。でも、みんな口を揃えて言うのは、英語が聞き取れない、会話もなかなか上達しない、ということ。小さい頃から英語で生活する環境にいないと言葉はマスターできないんだ。ましてや成人になって日本で普通に生活してたら、英語を話せるようになるのは無理、と思っていたのです。

 そんな折、苫米地英人著作の『英語は逆から学べ!』という本を読んで、なるほど、そういうことだったんだ、と語学に関するナゾが解けました。ちなみに苫米地氏は、アメリカの著名な大学で計算言語学の博士号を取得した方です。この本は、言語を習得する際の脳のメカニズムをやさしく解説し、効果的な語学の勉強方法を説明するものです。以下、著書に書いてあった英語の勉強方法について紹介します。

 ひとの脳には学習限界年齢というものがあり、言葉については8~13歳に母国語として習得する能力が止まってしまうとか。だから、中学生くらいまで海外生活を経験した日本人は英語をペラペラと話せるようになるけど、ボクみたいに20歳過ぎてから留学した人は、ネイティブスピーカーのようにしゃべれるようにはならないんです。

 それじゃあ、成人になってから英語を勉強してもムダなの? と考えちゃいますよね。実は、いままでの学習方法が間違っていたわけで、正しいやり方で学べば英語がちゃんと聞き取れるようになり、話せるようになるそうです。それで、間違ったやり方というのが何かというと、日本語を介して英語を学ぼうとすること。そもそも英語と日本語は語源も全然違いますよね。それに英語には日本語には無い発音もある。なのに、日本語の語学脳を使って英語の発音を無理やり日本語に変換しようとする。だから、聞き取れないということになるんだそうです。

 ならどうすれば英語の発音を正しく認識する、つまり聞き取れるようになるかというと、日本語と切り離して英語を学べばいい。そうすると、脳の中に日本語を理解する部分とは別に新しい語学脳が作れちゃう。つまり、英語脳ができるんだそうです。だから、英語を学ぶときには日本語でしゃべらない、ノートも取らない、頭の中で翻訳しないようにすることが大切だとか。とにかく耳から英語を学び、文法とか気にしない。赤ちゃんが見て聴いて自然と言葉を覚えるのと同じように、成人が言語を習得すれば、脳が英語の正しい発音も記憶し、英会話が徐々に聞き取れるようになり、しゃべれるようになるんだとか。

 英語から日本語へ、または日本語から英語へ翻訳することは無理があるとか。なぜなら、そもそもの言語体系が違い、文化や習慣が違うので、文章自体を直訳できたとしても、訳された文章が意味することがまったく同じものとは言えないそうです。だから、プロの翻訳者は単に英語と日本語という2つの言語を理解するだけでなく、文化や習慣の違いも理解したうえで、英語の文章の近似値を日本語から見つける能力が必要なんですって。つまり、ボクが英語の意味が理解できていても、日本語でどう表現したらいいかわからないというのは、翻訳作業に必要な能力が欠けているからだ、ということがわかったんです。

 英語に限らず、このやり方で本当に語学が習得できるのか気になりますよね。実は、いまスペイン語の勉強を始めてます。スペイン語のリスニングCDとスペイン語の映画(字幕なし)を繰り返し聴き、耳を慣らしことからやってます。繰り返し何度も聴くことで、なんとなくストーリー展開を想像し、意味をなんとなく理解する。そうしてると、いつの間にか、こういう場面ではこう言えばいい、と自然とフレーズを覚える。そんなふうにうまく行くかどうかわかりませんが、試してみる価値はあると思ってます。ちなみに人の脳はほとんど使われてないそうで、英語脳を作るだけの余裕は誰の脳にも十分あるそうです。それから、日本語を話せるということは、言語を習得する能力が備わっているわけなんで、英語を習得する能力があなたにも当然あります。本気で英語を習得したい方、ぜひ試してみてください。

多発するガパオライス詐欺 (2018.09)

 夏になると、ガパオライスが食べたくなるという人がいます。実は、ボクもそのひとり。妻がやってる家庭菜園(といっても家の敷地内に作った小さな畑ですけど)の片隅にあるプランターでガパオを栽培しています。今年は6~7月の日照不足のせいで生育が悪く、やきもきしましたが、8月になってようやく収穫できるまで大きくなりました。

 ところで、ガパオって何か、ご存知ですか? ガパオライスが大手のコンビニやお弁当チェーンで販売されているから、みんな知ってるものだとばっかり思ったら、実はご存じない人って結構います。もし、あなたもそうだったら安心してください。知ってるつもりの人が他にもたくさんいますから。

 ガパオとは、ホーリーバジルというバジルの一種。スーパーとかで見かけるのはスイートバジルで、主にイタリアンで使われるものです。そのほかタイバジル(タイ語ではホーラパー)というものもあり、グリーンカレーに使われてます。

 というわけで、ホーリーバジルを使った料理が、いわゆるガパオライスというものなんですね。ところが、あるタイ情報誌に掲載された記事よると、日本で販売されているガパオライスの大多数にはホーリーバジルが使われていないとのこと。それをガパオライスと呼ぶのはタイ人に対して失礼ではないか、と言ってるんです。

 実際、大手コンビニで販売されているガパオ風ライスにはガパオは使われていません。その代わりなのかどうか不明ですが、パクチーソースが付いてます。ガパオライスにはパクチー使わないから、余計なんの料理かわかんなくなってます。それから、チェーン展開しているタイ料理のお店で食べたガパオライスにもホーリーバジルは使われてなかったです。料理自体はぱっと見ガパオライス。でも、味はまったく別のものでした。本物のガパオライスを知らない人が食べたら、これがガパオライスなんだ、と思っちゃうんだろうけど、知ってる人には、え~、なんなの、コレ?!です。

 そもそもホーリーバジルは日本では夏にしか市場に出回っていません。だから、お弁当チェーンでは夏の短い期間しかガパオライスを販売してないんです。ちゃんとホーリーバジルを使ったら期間限定にするしかないですから。年中ガパオライスを提供してるところがあったら、なんかあやしい。何で代用してるのか訊いてみたいです。

 ボクが言いたいことは、ホーリーバジルを使ってないないガパオライスを提供しているお店やコンビニを非難したいわけではありません。でも、ガパオライスのような一般の日本人に馴染みのない料理を提供するのなら、可能な限り現地の本物に近いものを作って提供する責任があると思っています。だって、牛肉を使ってない牛丼が海外で売られてたら、日本人としては何かおかしいと思うでしょ。外国人がそれを食べて、おいしいと言ったとしたら、いやいや、そりゃあ大きな勘違いですって教えたくなりますよね。だから、ホーリーバジルを使ってないガパオライスを食べて、おいしいと言ってる人がいたら、ちょっと待って!って言いたくなるんです。

 もちろん、海外の料理を日本で作るとなると、いろんな障害があります。現地のものをそのまま再現するのはおそらく無理だと思うし、もしできたとしても現地の食材や調味料を全部使わなくちゃいけなくて、コストはずいぶんかかることになるでしょう。だって玉ねぎ一つにしても日本のものとタイのものは全然違いますから。

 それから、現地の料理をそのまま再現することが、果たして本当にいいことなの?と疑問に思うこともあります。例えばベトナム料理のフォー。現地ではどこのお店でも化学調味料(いわゆる『味の素』)を必ず使ってます。しかも、日本人からするとホントに驚くくらい大量に。だから、おいしいフォーでも化学調味料の味がします。ちなみに当店のフォーは化学調味料をいっさい使っていません。なぜなら、そういう味のするものをうちのお店で出したくないから。それでどうしてるかというと、化学調味料の代わりに現地では使っていない、ある食材を使ってフォーのスープを作っているんです。だから、現地のフォーを忠実に再現していることにはなりませんが、当店のフォーのやさしいスープの味は、現地のものと比べても遜色ない、と思ってます。

 とにかく「百聞は一見(一口?)にしかず」です。本物を一度食べれば、どういう味の料理なのか、なぜ多くの人がガパオライスにハマるのか理解できるはず。そして、これまであなたもガバオライス詐欺の被害者だったってことも。

クスクスは世界を駆け巡る... (2018.07)

 クスクス(couscous)って何かご存知ですか? 残念ながら笑い声のことではないですよ。クスクスは、世界最小のパスタと言われ、パスタの原料であるデュラム小麦を1mm大の小さな粒状にして乾燥させたものです。食べてみると、プチプチ感のある不思議な食感。「なにこれ~!?」と、ハマるお客さんが結構いるんです。

 クスクスは北アフリカ発祥と言われていて、この地域(チュニジア、モロッコ、リビアあたり)の人たちにとって、主食なんです。羊肉や鶏肉、野菜の煮込み料理をかけて食べるようです。

 クスクスをネット検索したら『クスクス粒の秘密』(2007年フランス)という映画が見つかりました。この映画は、チュニジアからフランスの港町に移民した家族が繰り広げる人間模様を描いたもの。映画のストーリーはさておき、親戚縁者が集まって、ワイワイおしゃべりしながら食事をするシーンが何度もあり、クスクスがいつもメインディッシュとして登場してきます。クスクスを作るのは、いつも母親。「かあさんが作るクスクスは美味い」とみんな絶賛しています。クスクスは北アフリカの人たちにとって、まさにソウルフードなんです。

 北アフリカに近いヨーロッパの国々(フランス、イタリア、ギリシャ、スペイン、ポルトガル)でもクスクスを食べる文化があります。ただ食べ方は地中海をはさんでちょっと変わってきたようです。パスタの代用のような使い方もするし、蒸したクスクスに小さく刻んだトマトやキュウリ、パセリなどの生野菜を加え、レモン汁、オリーブオイル、塩コショウで和えたサラダ仕立ての料理 (タブレ)として食べるんですよね。

 クスクスがエジプトに伝わると、今度はデザートになっちゃいます。材料にはバター、砂糖、シナモン、レーズン、ナッツを使うようです。残念ながらまだ食べたことがないから、どんなデザートか、いまいち想像つかない。(・_・;) でも、ケーキやクッキーの材料と変わらないところをみると、そんな感じのものなんでしょうかねえ。

 それから、海を渡って南米のブラジルにもクスクス(ポルトガル語ではcuscuz)があるみたいです。ブラジルでは小麦粉の代わりにキャッサバ(タピオカの原料)とトウモロコシを粉にしてクスクスを作るとか。魚介類や野菜のスープにクスクスを加えて炊き込んだ料理らしい。おいしそう、なんか食べてみたいです。

 そんな感じで、日本では知名度があまり高くないクスクスですが、実は世界を駆け巡っているようです。 お店では、クスクスを使った料理を2品提供しています。ひとつは、チュニジア風の料理でケフタタジン。本当はタジン鍋を使って作るようですが、お店ではスキレットで代用してます。ラム肉のミートボールを香辛料を効かせたトマトベースのソースで煮込み、最後に卵を落として半熟になるまで加熱したもの。これをクスクスにかけて食べるとうまいんです!! (*´∨`*)

 もう一品は、クスクスサラダ。オリーブオイルと香辛料で下味をつけたクスクスに、刻んだトマト、キュウリ、パプリカ、パセリを加えただけのシンプルなもの。この食べ方でクスクスのプチプチ感が満喫できるんですよ。世界を駆け巡るクスクスをあなたも味わってみませんか? \(^o^)/

青年海外協力隊のお話 (2018.07)

 24年前(当時28歳)、ボクは青年海外協力隊(以下「協力隊」)で開発途上国へ派遣されました。協力隊は、政府開発援助(ODA)の予算で実施されている国際協力ボランティア事業。1965年に始まり、派遣実績は90カ国、のべ43,000人です。現在約2,000人余りの方々が70カ国で活動しています。協力隊には、20~39歳の日本国籍を持つ人が応募でき、派遣期間は原則2年間。

 協力隊に応募するきっかけは人それぞれです。高校生の頃から協力隊を目指して進路を選び、就職して経験を積んでから応募する人もいます。また、大学生が卒業後就職せずに協力隊に参加するケースもあります。ボクの場合は、いたって単純。東京でのサラリーマン生活をずっと続ける気持ちがなかったから。何か新しいことにチャレンジしたかったから。しかも応募する半年前まで協力隊についてなんにも知りませんでした。ある日、通勤中の電車にあった中吊り広告に目が留まり、協力隊って何だ?おもしろいかも、と初めて興味を持ったんです。

 会社を辞めて協力隊に参加しようと思った理由は、もうひとつあります。それは、アフリカに行きたかったから。実は、ボク、アメリカに留学していた頃、毎週末アフリカ人に混じってサッカーしてたんですよ。そのときの楽しい思い出が頭をよぎり、いっしょにサッカーやってた連中が生まれた大陸に行って生活してみたい。それなら協力隊に参加すればいいんじゃん♪と思ったわけです。

 協力隊に応募する際、派遣職種を選ぶんですね。協力隊に行って井戸掘ってるの?と、何度か聞かれたことがあります。井戸掘りは一般的に「村落開発普及員」という協力隊がやること。派遣職種は、本当に多岐にわたり、「日本語教師」「柔道」「看護師」「家畜飼育」等など、100以上あるんです。

 ボクの場合、アフリカに行ければ、何の職種でもよかった。ただ自分ができることは限られてるし、選考をパスしなきゃダメなわけ。それで、いろいろ調べて考えた挙げ句、「理数科教師」の職種で応募することに決めました。

 「理数科教師」の応募条件には、教員免許や教員経験が必要なモノもあったけど、ガーナからの要請には必要なし。理科や算数を教えられる素養があればOKということで、自分にピッタリです。o(^o^)o

 一次選考の筆記試験(語学と職種別試験)をパスし二次選考の面接でも好感触。こりゃあ、受かったな、と実感して合格通知の書類を待ちました。そして、ついに合格通知が届き、急いで封を切って中身をみると、派遣国はフィリピン!?

 アフリカに行く気満々だったので、フィリピンって国がアフリカにあったっけ?とマジで考えました。でも、フィリピンは間違いなく東南アジアの島国。地球の裏側ではなく、3,000キロしか離れてなくて、飛行機で4時間半で行けちゃう、あのフィリピンだ。そんな近くていつでも行けるような国で2年間過ごす意味があるんだろうか。辞退して再度応募するかフィリピン派遣を受諾するかホントに悩みました。その結果、フィリピンへ行くことを決断。どんなところでも何か新しい発見があるだろう、と自分自身を納得させたのです。

 フィリピンでの配属先は、レガスピ市にあるビコール大学。ちなみにレガスピ市はマニラから300km離れたルソン島南部にある地方都市。フィリピンの富士山とも呼ばれるマヨン火山の麓にあります。

 配属の職場は、大学の教育学部に併設された地方理科教育センター(Regional Science Teaching Center 以下「RSTC」)で、ここの物理の先生といっしょに働くことになりました。RSTCは、ハイスクール(中学1~4年生)で教鞭をとる理科・数学教師対象の研修施設。主に夏休み期間中、再教育セミナーをやってました。

 フィリピンでは、一般的に「物理は暗記科目」と言われてました。なぜなら、ニュートンの法則やオームの法則なんかをただ暗記するよう生徒に教えていたから。なんせ先生自体が実験のやり方を知らないし、実験設備もないから、当然授業で実験をやらない(やれない)。しかも、理科と数学の教科書は英語で書かれていて(他教科はフィリピン語)英語力が乏しい地方の生徒は、「英語ができないから数学と理科はわからない」という状況。

 こうした現実を改善するために何ができるか。まず取り組んだのが、言語の壁をなくすこと。英語ではなく、生徒が普段使っている現地語(フィリピン語とは違うビコール語)で授業するよう、地域のハイスクールで指導しました。それから、身近にあるモノを使った実験をやってみせたんです。

 具体的には電気回路の実験をやりました。用意したものは、乾電池、豆電球と配線ケーブル。これらを使って回路を作る実習を先生たちにお願いすると、案の定できません。試行錯誤して、やっと電球が光ったら、みんな大喜び。それから、直流回路と並列回路を作り、実験結果をもとに電流と電圧の関係を説明しました。そうすると、「そういうことだったんだ」と、納得。実験を通して物理を楽しく学ぶことをわかってほしかったんです。

 2年間の協力隊の活動が、順風満帆だったわけではありません。外国人が突然やってきて、長年やってきたことと全く違うことをやれって言うわけです。言われたとおり、やると思います? やっぱり信用されないんです。その時は、うんうん頷いていても、やっぱり実際の授業に変化なし。 (T_T)

 日本人が来た。日本人はお金持ち。貧乏だから、お金欲しいって言えば、工面してくれるでしょ。日本製の実験器具だってすぐにくれるでしょ、みたいな期待が一杯なのが現地の先生方から伝わってきます。

 それでもめげずにRSTCのスタッフといっしょに活動を続けました。すると、実験を自分でやってみたい!と言ってくれる先生が徐々に出てきたんです。やってきたことは無駄じゃなかったんだ、と判ったときは、ホントに嬉しかったなあ。 (^o^)/ 

 協力隊で過ごしたフィリピンでの経験は、ボクの人生の大きな糧になったと思います。蛇足ですが、アフリカへ行きたい!という夢は、協力隊派遣から12年余りたった2007年についに実現しました。遠回りしたけど、夢はちゃんと叶いましたよ~♪

写真にまつわるお話 (2018.05)

 みなさん、たくさん写真撮ってますか? 最近では、スマホできれいな写真が手軽に撮れて、すぐにインスタとかのSNSで共有できるから、なんでもパシャパシャしてる人、多いですよね。家族や友人とのイベント、旅の思い出にも写真は欠かせないですし。しかもなんでもオートで撮れちゃう。集合写真でも、ピントがちゃんと自動で合うし、露出とか、シャッタースピードとか、まったく意識しないでいいし。というか、スマホでしか写真を撮らない人が多くなってきてて、きっと、露出? シャッタースピード? 何それ!?ですよね。

 昔は自分もそうでした。フィルムカメラしかない時代でしたが、フィルムさえちゃんとセットすれば、あとは被写体にカメラを向けてシャッターボタンを押すだけ。そうやって撮影した写真がアルバムにたくさん残っています。家族との海水浴、旅行、入学式、卒業式、修学旅行、部活(サッカー部でした)の試合などなど。

 いまは、写真をもっと「意識して」撮影しています。「意識して」というのは、構図や光の加減など、写真の出来映えを左右するいろんなことを頭のなかで考えてから、撮影するということを指します。意識して写真を撮ると、すごい!と、自分でも驚いちゃうような写真ができちゃったりします。周りからも、写真うまいね、って言われちゃいます。そうやって、おだてられて、自分で撮影した海外の写真をお店にいっぱい飾ってるわけです。(^o^)/

 写真を意識して撮り始めたのは、24年前に青年海外協力隊でフィリピンに派遣されてから。きっかけは、グレンとの出会いからでした。グレンは、派遣されていたレガスピ市観光局の職員で、勤務先のビコール大学のオフィスに、ある日突然訪ねてきたのです。

 ここに日本人がいると聞きつけて来た、日本人からの手紙を翻訳してほしい、とのこと。英語もわからない日本人(Y氏)からの手紙が、なぜフィリピン人のもとに届くの?と尋ねると、事の経緯を説明してくれました。

 何年か前にバンコクで知り合った。あるフィルム会社主催の写真コンテストで優勝し、その副賞でタイ旅行したときのこと。同様のコンテストが世界各地で開催され、優勝者が全員バンコクに集合し、みんなで撮影旅行を楽しんだ。日本の優勝者であるY氏は、いつも一人で、寂しそうにしていた。せっかくの楽しい旅行なのに、と思い、Y氏に声をかけて、いっしょに食事をしたり、行動するようになった。言葉は通じなかったが、写真を通じて親交を深め、帰国してから文通が始まった。日本語で書かれた手紙が届き、中身がまったく理解できなかった。でも、自分の近況を英語で書いて返信した。そうしたやりとりが何年も続いている、という話です。

 こんな感じで、文通のお手伝いを通じて知り合ったグレンなんですが、あるとき、初心者のための写真セミナーをやるから参加しないか、と声を掛けてくれました。それまで写真撮影にはあまり興味なかったのですが、なんと、協力隊に参加する前に働いていた会社の先輩から、中古の一眼レフカメラを、お祝いとしてもらっていたのです。せっかくのチャンスなので、グレンと写真仲間3人が実施した、2日間の写真セミナーに参加し、カメラの使い方、写真撮影の基礎などを学んだのでした。

 その後は、グレンと仲間たちの写真撮影の旅に同行したり、グレンの撮った写真を見せてもらったりして、知識を高めました。そして、自分でもいろいろ試しながら写真撮影。協力隊の活動で関わりのあった高校教師に被写体になってもらい、ポートレート写真を撮る練習なんかやっちゃいました。

 協力隊の任期が終わって、仕事として海外を飛び回るようになり、行く先々で写真を撮ることができました。仕事の合間にカメラを持って歩き回り、出遭った人たちや街の光景をパシャパシャしたんです。

 特に印象に残っているのは、ガーナでのこと。2ヶ月間の出張で、ガーナ北部の村々を巡って、母子保

健について調査した際、村人の生活をたくさんカメラに収めることができたのです。村には電気がないのが当たり前。時計もカレンダーもない生活をしていて、自分の子供の誕生日や生まれた年さえわからない母親がたくさんいました。かなり貧しくて厳しい環境です。でも、子供たちは元気です。お母さんたちもたくましく暮らしていました。ひとつの村には半日くらい滞在したので、徐々に警戒心も薄れ、カメラを向けても、みんな笑顔で応えてくれました。

 日本にいると、あまり写真を撮りません。長く住んでいると、真新しい光景が見つからないからでしょうか。日本では、知らない人にカメラを向けると失礼だし。でも、写真を見ると、やっぱりワクワクします。すてきな風景写真もたくさんありますが、個人的にはスナップ写真が一番好きです。スナップ写真とは、下準備なしで日常の出来事や出合った光景を、一瞬のもとに撮影した写真のことを言います。生活の一部が切り取られたような光景や人物の写真は、想像力を掻き立てますね。ただ単に美しいものよりも、生きざまみたいなものが見え隠れする写真がいいです。

 桜の季節は終わりましたが、暖かくなり、野外撮影には絶好な季節です。みなさんもカメラを持って(スマホでもいいですけど)写真撮影に出かけてみませんか。素敵な写真と出合えるかもしれませんよ。

 

【追記】グレンの親友、Y氏は今年2月に他界されました。実は、北斗市在住の著名なアマチュア写真家だったのです。生前三度ほどお会いする機会がありました。最初は、まだフィリピンにいたとき、Y氏がグレンを訪ねてマニラに来た際、通訳のお手伝いをさせていただきました。それから、しばらく音信不通だったのですが、4年前、Y氏が会長を務める写真クラブが写真展をやっているのを新聞で偶然見つけ、会場で17年振りに再会しました。後日、写真クラブにお邪魔させていただき、お会いしたのが最後になりました。穏やかな、愛情溢れる人でした。謹んでお悔やみ申し上げます。

ナシゴレンは思い出の味 (2018.05)

 ナシゴレンが食べたくて探して来ました、というお客さんが時々来店します。バリで食べたナシゴレンをまた食べたくて~、って言うんですね。○○というレストランで食べたナシゴレンが一番うまい、KOKITAブランドのケチャップマニス(kecap manis)を使ってナシゴレンを作ると、うまいんだよなあ、だって。けっこうマニアックだなあ、お客さん。

 そういう自分も初めてナシゴレンを食べたのは、バリ島でした。25年くらい前に、初めてバリ島を旅行したときのこと。夜遅くクタ(バリ島の有名な観光地)を一人でウロウロしてたら、ナシゴレンを作っている屋台を見つけたんです。ムチャクチャうまそうだったので、迷わず注文。いやいや、期待を裏切らない味でした。それから、いろんな所で何度もナシゴレンを食べてますが、自分の頭の中にあるナシゴレンのイメージは、いつも最初に食べた屋台の、あのナシゴレンなんです。

 ちなみに、ナシゴレンのナシ(nasi)は「ご飯」、ゴレン(goreng)は「炒める」という意味で、まさしく炒飯

(チャーハン)です。それから、ミーゴレンという料理もありますよ。ミーは「(中華)麺」という意味なんで、ミーゴレンは? もう判りますよね。そう、「焼きそば」です。

 インドネシアのナシゴレンが有名ですが、シンガポールやマレーシアにもナシゴレンがあります。ただ味も使う具材も、ちょっと違うみたいですね。インドネシア国内でも、いろんな種類のナシゴレンがあるみたいで、ネットで調べると、食材や作り方が違うものが見つかります。お店のナシゴレンは、もちろんバリの屋台で食べたやつをイメージして作ってます。

 ナシゴレンって、辛いんですが、甘みも感じられますよね。あの甘みは、ケチャップマニスという現地の調味料のものです。ケチャップマニスは、ココナッツシュガーから作られた、とろーり甘い醤油のようなソースのこと。ケチャップと言っても、トマトケチャップではありません。それから、あの辛味は、サンバル(sambal)と呼ばれるチリペーストの味です。

 ナシゴレンの辛さは、単純な唐辛子の辛さとは、ひと味違います。この甘辛い、奥深い味を出すために、お店で研究を重ねた結果、ソースやスパイスをブレンドして使ってます。この味を出すのに、けっこう苦労したので、バリで食べた味だ、ってお客さんに言ってもらえると、ムチャクチャうれしいです。

 バリ好きのお客さんも自分と同じ気持ちだと、勝手に思い込んでるのですが、ナシゴレンの味には、バリの思い出が詰まってるんです。バリ島へ行ったことがある方だったら判るはず。独特の文化があり、風情があり、穏やかな人たちが居る。ああ、思い出してると、バリに行きたくなってきた。とりあえず、ナシゴレンを自分で作って食べようかな。

最近の我が家のニャンコたち (2018.04)

 今回また、うちのニャンコ3匹(ドルトン、テキーラ、ウラン)のお話。1ヶ月ほど前にちょっと訳あってエサを変えました。ネコはエサを変えると食べなくなったりするもんですが、今のエサになってからというもの、異常に食べるんですよ。これまでと同じ量を朝あげると、テキーラがものすごい勢いで食べてしまい、仕事に出かける時間には、もっとエサくれ~って騒ぎ出す始末。ウランはこれまで食べたいときにエサをちょっとずつ食べていたので、朝イチには食べないことが多かったですね。ところが、最近は朝エサの準備をしてると、ウランまで寄ってきます。ドルトンはおなかが空くと足にしがみついて、ズボンをガリガリし始めるし。

 休みの日、昼間うちに居たりすると、エサくれ~、エサくれ~って、ホントにうるさい。洗面所がニャンコたちのエサ置き場なんですが、そっちに向かって歩こうもんなら、テキーラがすぐ反応して、洗面所に駆け寄るありさま。ちなみに今あげてるエサは、太ったネコ用のドライフード。デブったネコをダイエットさせるためのものだと思ったら、さらに太らせるためのものだったかな。ちょっとどうにかしてほしいです。

 朝ご飯を食べ終わると、ニャンコたちは窓際でよく日向ぼっこします。窓際のポジション争いでケンカして、誰か落されたり、仲良く3匹で寝たり。ちょうどその頃が小学生の登校時間で、うちの前がみんなの待ち合わせ場所になっているのか、何人かが集まるんですね。ご近所の子どもから聞いたのか、うちのニャンコの名前、みんな知ってるんですよ。

「あ、ドルトンちゃんだ」

「今日はテキーラちゃん、いないね」

「ウランちゃん、かわいい~」

なんて声が窓ごしに聞こえてきます。

 日向ぼっこのあと今度は、遊んでニャ~の時間です。ネコグッズがクローゼットに入ってるので、クローゼットから何か取り出そうと手を掛けると、ニャンコたちは、それぞれのポジションについてスタンバイ。テキーラはクローゼット前。ドルトンとウランは、階段1段目と位置が決まってるんです。ネコじゃらしを取り出すと、テキーラがすぐに追いかけて、走り回ります。ウランは自分の目の前に来たときだけ反応。ドルトンは物陰に隠れていて、突然飛びかかってきます。あと、足に抱きついて来て、ネコキックもよくやります。最近やるようになったのが、手を抜くこと。床の上にデレ~っと横になり目の前に来たときだけ足を動かして取ろうとするんです。ケンカするときだって、ウランとテキーラが二匹とも横になりお互いをどつきあったりします。なんかやる気ねえなあ、おまえら。

 暖かくなってきて、近所のネコたちも積極的に活動するようになってきました。うちの庭への侵入者を見つけると、ウランの出番です。特にボス猫の「ニャジラ」(勝手にそう呼んでます)がやってくると、大騒ぎ。玄関のチャイムが鳴っただけで、ウランは2階に駆け上がって隠れちゃうクセに、侵入ネコに対しては容赦なく「ギャ~」と張り裂けんばかりの大声で威嚇します。テキーラは見てるだけ。ドルトンは怖くて近づきもしない。う~ん、我が家はホントに平和です。

生春巻きの話 (2018.04)

 生春巻きは、フォーと並んでベトナムを代表する料理ですよね。うちのお店でも一番人気です。特に女性客がほぼ皆さん注文されます。お野菜いっぱいで、ヘルシー。スイートチリソースとの相性バツグン。しかもインスタ映えするから、スマホで写真を撮るお客さんがたくさんいます。

 お店では生春巻きのことを、現地の名前にならってゴイクン(goi cuon)と呼んでいます。ちなみにgoiは「サラダ、和え物」、cuonは「包む、巻く」という意味です。

 ライスペーパーを使って具材を巻いているわけですが、市販のライスペーパーはベトナム製で、いろんなブランドのものが出回ってます。薄いものや破れやすいものもあるので注意が必要。

 インターネットで検索すると、霧吹きを使ってライスペーパーを戻すという方もいるようですが、お店ではライスペーパーをお皿に張った水に軽く浸けてから戻しています。ライスペーパーには裏表があるって知ってました? 触ってみるとツルツルしているほうが表で、巻いたときに外側になるようにします。

 生春巻きをきれいに巻くのは結構難しいです。コツはライスペーパーを水で戻したら、できるだけ早く巻いちゃうこと。時間が経つと、ライスペーパーがモチモチ状態になり、手にくっついて巻きにくくなります。それから、巻く前に具材を均等にならしておくこと。巻くときになって形を整えようとして、キツく巻いたりしたら、ライスペーパーが破れちゃうことがあります。

 生春巻きの具材には、春雨、もやし、ニラ、にんじん、大葉とメインのエビを使っています。現地の観光客向けのお店に行くとやっぱり同じような感じかな。

 ところが、現地の人しか入らないような、お店では全然違うんですよ。手巻き寿司を自宅で食べるときみたいにお客さんが自分で巻いて食べるんです。なので、巻く前の具材とライスペーパーが、水を張ったお皿といっしょにテーブルの上に並べられます。自分好みの具材を選んで巻くわけで、けっこう楽しいんです。

 具材の種類も違っていて、スターフルーツや熟していない、ちょっと苦味のあるバナナも使います。ライスペーパーにも日本で見かけないタイプのものがあるんです。あぶらとり紙みたいに半透明の薄いもので、水で戻さずに、そのまま具材を巻いて食べるんだけど、薄いから口のなかで溶けちゃう感じです。

 ベトナム人は生春巻きを日頃から食べてるイメージがあるけど、実はそんなことはない。むしろ揚げ春巻き(チャーゾー、cha gio)のほうが食べる機会が多かったです。それから、蒸し春巻き(バインクン、banh cuon)ってものもあります。残念ながら、お店の通常メニューにどちらも載せる予定はありませんが、『ベトナム春巻き三昧コース(予約制)』というものを作ろうかなとは考えています。みなさん、お楽しみに~。\(^o^)/

ベトナムのゲテモノ事情 (2018.04)

 ベトナムで3年働いていた間、実にいろんなモノを食べました。正確に言うと、食べさせられました。誰かといっしょに外食したとき、接待で呼ばれたとき、出されるんですね。えー、これ食べれるの?!っていうモノが。自分には海外にいるときのポリシーがありまして、何かと言うと、出された料理と勧められたお酒は絶対に断らない。日本人にしてみると、ゲテモノかも知れないけど、現地では普通に食しているモノだったり、外国からの来客のために用意してくれた特別なモノだったりするわけです。それを食べないでお断りするなんて、あり得ない。ホントになんでも食べました。コムビンザン (Com binh dan) と呼ばれる大衆食堂では、イモ虫の炒めものとか普通においてあります。見かけは悪いですが、食べられないようなモノじゃないです。カエルもよく食べます。鶏肉みたいで、焼いて食べてもいいんですが、カエルのスープが定番で、何回か食べたことがあります。カエルの皮までスープに入っていて、ちゃんとカエルと判る模様が。女の子はコレ見ちゃうと食欲なくなるかも。

 その他では、ハリネズミ(スープが定番だけど結構にがい)、サソリ(殻が硬くておいしくない)、ハト粥(ハトの丸鶏を飯盒炊飯)、水牛の脳みそ(茶碗蒸しみたいな食感で、味はアンキモみたいな感じ)も食べ(させられ)たことがあります。

 ベトナムだけでなく、東南アジアの国ぐになら名前は違えど、どこにでもある孵化(ふか)しかけたアヒルのゆで卵。フィリピンでは「バロット」、ベトナムでは「チュンビットロン」と言います。食べ方はというと、卵の丸い方の先(気室のあるほう)をスプーンなんかで叩いて穴をあけ、まずスープをすすります。これが濃厚で、結構いけるんです。それから、殻を少しずつ割りながら身のほうを食べるんですが、孵化が進んじゃったモノに当たると、くちばしとか羽根とかもあり、ちょっとグロいし、食べにくい  (18日目の卵が一番食べごろだとか)。フィリピンに居たときは、バスや船での長旅のときよく食べていました。ベトナムでは、塩、しょうが、とうがらしを卵といっしょに用意してくれるので、自分の好みに味付けしてから食べるんですよ。

 韓国人も犬を食べますが、ベトナム人 (主に北部の人たち) も大好物です。ちなみに西洋犬は食べず食用として飼育しているローカル犬を食べます。体が温まるとか言って、寒い時期に食べるのが普通。ハノイには、犬料理専門店が何件も並ぶ通りがあるんですが、冬場に行くとすごい人だかりです。犬肉には独特の臭みがあるので、香草といっしょに煮込んだり、焼いたりした料理が多いです。さらにドクダミの葉っぱといっしょに食べます。地方にあるお店に行くと、お客さんは食べ残した骨とか床に投げ捨てるんですが、それをお店の飼い犬が喜んで食べるですよ。えー、共喰いじゃん!と思うんですが、飼い犬もベトナム人も全然気にしていない。う~ん、ちょっと複雑な気分。

 山岳民族が住んでいるような田舎に出張したときヘビ料理のお店に連れて行かれ、ヘビ三昧の接待を受けたことがあります。実は、料理のことはほとんど記憶にないのですが、そこで飲んだお酒のことは鮮明に覚えています。まず、ファンタの空き瓶に入った自家製の米焼酎を用意。それから、生きたヘビを包丁で割いて、生き血を焼酎の中に投入。ピンクのファンタの出来上がり。それをみんなで飲み終えたらもうひと瓶、ファンタ (もちろん中身は焼酎) を持ってきて、さっきのヘビから取り出した胆汁を投入して緑色のファンタの完成。それも飲んじゃった翌日、おなかを壊しました。⇒⇒⇒みなさん、絶対に真似しないでくださいね。火を通していない動物の血を飲むのは、とっても危険です。\(x_x)/

最近の我が家のニャンコたち (2018.03)

 うちの3匹、アユちゃん家のムギちゃん、海外のネコと続いてきた猫シリーズ。今回は、またうちのニャンコの話に戻ります。さてさて、寒い日が続き、ニャンコはベッドの上でいっしょに寝ることが多くなりました。そのおかげでこっちは寝不足ぎみ。だって、ドルトンが左側、テキーラが右側にぴったりくっついて寝るもんだから、寝返り打てない! 金縛り状態です。オマケにテキーラが夜中に突然、「オエ~」って吐いたりして、起こされるし。ちなみにウランは、隠れるときにはフトンの中に入るけど、夜は1階のソファーで寝てることが多いです。

 家の暖房は、昼間自動で切れるため、ニャンコたちは暖かい場所で、おとなしく寝てることが多いです。お気に入りのスポットは、キャットタワーのハンモック。1匹が先に入って寝てても、割り込もうとしてケンカになったり、無理やり2匹が乗っかって、押しくら饅頭状態に。ハンモックが重みに耐えられなくなり、そろそろ壊れそうなんで、やむなく使用禁止にしました。その代わりというわけではないけど、小動物用のホットカーペットをアマゾンで購入。ハンモックほどの使用頻度ではないですが、ケンカにもならず交代で使ってくれてます。

 テキーラが甘えてくるとき、以前はひざの上に上がってくるので、おなかをナデナデしてました。するとフミフミが始まり、ゴロゴロ、ゴロゴロ、と気持ちよさそうな声を出します。ところが、最近は肩に抱きつくポジションが、大のお気に入り。しかも、決まって左肩じゃないとダメなんです。ポジションが決まると、ナデナデしなくてもゴロゴロ、ゴロゴロ。なかなか動こうとしません。

 ウランは、あいかわらず気が向いたときだけ、ひざの上に乗っかってきて、ニャ~(めでろ~)。腰をトントンの代わりに、最近はおなかをナデナデすると超ゴキゲン。気持ちイイ~のニャーニャー、連発です。ドルトンも、あいかわらずで自分にはなついてません。おなかが空いたときと、寝るときだけ擦り寄ってきます。そういえば、ボール投げも最近やってないなあ。でも義母へのストーカー行為は止まりません。

 ところで、みなさん、いなば食品の『チャオちゅ~る』という猫のおやつをご存知ですか? 最近あまりテレビで見かけてないですが、「ちゅーる、ちゅーる、チャオちゅ~る♪」という軽快なCMソングに合わせて、液状のキャットフードをニャンコが夢中になってペロペロしてるコマーシャルを見たことがあるでしょ。実は、うちのニャンコたち、チャオちゅ~るが大好き。1匹に舐めさせ始めると、必ず残り2匹も駆け寄ってきて、チャオちゅ~る争奪戦が始まります。

 最近見つけたのですが、あのCMを作れるアプリがあるんですよ。スマホにアプリをインストールして、短い動画を3つ撮影。あとはアプリが勝手に動画を編集して、タイトルや音楽をつけて、20秒間のCMがあっという間に出来ちゃいます。うちの3匹出演CMは、近々ホームページにアップする予定です。お楽しみにー。(=^ェ^=)

ブリトーとタコスの話 (2018.03)

 メキシコ料理で思い浮かぶは、一般的にタコス(tacos)だと思いますが、個人的にはブリトー(burrito)です。ブリトーは、日本ではメキシコ料理と認識されていますが、実はアメリカ風メキシコ料理で、テクスメクス(Texmex)と呼ばれています。アメリカにあるメキシコ料理のファストフード店やレストランに行くと、ブリトーがメニューにちゃんと載ってるけど、メキシコにはないんですよ。タコスにしても、U字型をした硬いトルティーヤに、いろんな具材を詰め込んだモノだと、みんな思っているでしょうがこれもアメリカ風のタコス。本場のメキシコでは油で揚げていない、やわらかいトルティーヤにお肉やシーフードを乗っけたモノなんです。実際にタケリア(taqueria)と呼ばれるタコス屋さんに行くと、豚の内臓からサボテンまで、タコスのメニューはたくさんありました。

 タコスに使うトルティーヤは、甘くない品種のトウモロコシ粉からできていて、焼き立てのものは、めっちゃくちゃ旨い!! お店でも本当は出したいところなのですが、いろいろハードルがありますね。2016年4月の五稜郭バルのとき、ピンチョスとして200枚位トルティーヤを作ったのですが、6時間以上かかりました。(>_<) 粉を練って寝かせ、ピンポン玉くらいの大きさに丸め、トルティエロと呼ばれるプレス器を使って平らにします。そう、麺棒で延ばしてるんじゃないんです。ペシャンコにしたら、油をひかない鉄板のうえで1~2分焼くと出来上がり。焼き加減は結構難しくて、うまく焼けるとトルティーヤが空気で膨らみ、香ばしいトウモロコシの香りがします。

 ブリトーを初めて食べたのは30年以上前のサンフランシスコ。一度食べてヤミツキになりました。ブリトーにはコーンではなく、フラワー(「flower」じゃなくて「flour」小麦粉ですよ)トルティーヤを使います。直径30cmくらいかな。これにメキシカンライス(味付けして炊いたご飯)、フリホーレス(キドニー豆の煮もの)、サルサ、紫玉ねぎ、シュレッドチーズ、サワークリーム等に加えて、メインのお肉やシーフードを乗っけて巻けば完成です。お客さんによって好き嫌いがあるので、お店では紫玉ねぎを使わず、アボカドを入れています。

 ブリトーって、コンビニでも売ってますよね。スライスハムとかチーズとか巻いただけのやつ。トルティーヤで巻けば、何でもブリトーなんですね。う~ん、正直やめてほしい。アメリカ人のお客さんも言ってました。

「コンビニのブリトーはおかしい。あんなペッタンコなブリトーは、見たことがないから」

ちなみに、そのお客さん、1つだけでも結構ボリュームあるのに、ランチでブリトー2つ、たいらげていきました。

 『Guzman Y Gomez』 というオーストラリアのブリートー専門店が、2015年に原宿にオープン(現在、東京、千葉で合わせて4店舗)。アメリカの大手チェーン『タコベル』も同年東京に進出し、現在、東京6店舗、大阪1店舗に展開しています。ちょっとしたメキシコ料理ブームかも。函館でまともなブリトーが食べれるのは、おそらく、うちのお店だけ。口コミで広まったのか、函館在住の外国人が、よく食べに来ます。メキシコ料理がポピュラーなアメリカ人はもちろん、カナダ人、オーストラリア人も好きみたいです。あと、アメリカ帰りの日本人が懐かしい味だと言ってくれてます。ある日本人は、カリフォルニア州サンディエゴに留学していた当時、アメリカ料理が口に合わなくて、唯一おいしく食べれたのがメキシコ料理だったとか。うちのブリトーを食べると、当時のことを思い出すそうです。ブリトーを食べたことがない人は、ぜひ一度ご賞味ください。あなたもヤミツキになるかも知れません。ちなみにテイクアウトもやっています。(^_^)v

笑える履歴書 (2018.03)

 なんのこと?と思ったでしょ。笑える履歴書とは、何を隠そう、自分のモノです。いまこうして飲食店を営んでますけど、バイトを除いて飲食業に関わるのは、この店が初めて。それまでは、まったく違う業界の仕事をやってました。今回ちょっと自分の経歴について語ってみようと思います。履歴書に落としてみると、ホントに笑えるんだから。

 まず、学歴ですけど、広島県呉市にある工業高等専門学校(高専)で建築を勉強しました。高専を卒業した後、就職せずに渡米。1年後に帰国してフリーター生活でお金を貯め、留学。サンフランシスコ州立大学で統計学を勉強しました。無事卒業して帰国したときには26才。それから東京で働いたりしましたが、30才でフィリピン大学の大学院に入り、人口学の修士号を取りました。さらに、47才になって函館の調理師養成学校に入学し、調理師の資格を取って、現在に至るわけです。

 それから、職歴のほうはというと、留学から帰国した26才で初就職。スーパーの売上情報の収集やテレビ視聴率調査をやっている外資系企業に就職しました。2年間のサラリーマン生活に見切りをつけ、青年海外協力隊でフィリピンに派遣。理数科教師という肩書で、地方サイエンス・テクノロジー・センターに赴任し、理科教師に実験のやり方を指導したり夏期セミナーで算数を教えたりしてました。2年間の任期を終えた後、協力隊員を統括する立場になり、フィリピンに2度目の派遣。今度は人口委員会に赴任し、保健関連のコミュニティ活動を展開していた青年海外協力隊員の調整業務や医薬品・機材の調達業務に従事しました。

 そこから、国際協力の専門家やコンサルタントしていろんな国での仕事に関わるようになったのですが、長短期で派遣された国は、ベトナム、ミャンマー、ネパール、ブータン、フィリピン(以上、東南アジア)、ニカラグア(中南米)、アンゴラ、ガーナ、ザンビア(以上、アフリカ)です。携わったプロジェクトは、保健医療、教育、地方自治、インフラ整備関連と、さまざま。そのあとで、現在の飲食業につながる(?)わけです。

 ハイ、それでは、少し整理すると、学歴のほうが、建築→統計→人口学→調理となり、職歴が、サラリーマン(データ管理)→青年海外協力隊(理数科教師・村落開発)→コンサルタント業(保健、教育、地方自治ほか)→飲食業となりますね。で、アンタいったい何やってんの?という声が聞こえてきそうですが、本人は至ってマジメに生きてきたつもりなんですよ。別に飽きっぽいわけでもなく、その時々に自分が直面した状況や自分がやりたいことをいろいろ考えたうえで、こういう道を選択して、やってきただけですから。まあ、人生なんとかなる!という思いはあるのかな、おそらく。これだけは、はっきり言えるのは、いろんなことをやってきた分、常に新しいことを学ぶ必要があり、仕事しながら、ずーっと勉強してきました。いまだって料理や経営のことを勉強しながらお店をやってます。ひとつ誤解のないよう言っておきますが、学校を卒業してからずっとひとつの仕事をやっている人を否定しているわけじゃないですよ。むしろ、ひとつのことをずっとやり続けている人が、うらやましいかも。実は、自分は昔、職人さんになりたかったんで。何かひとつのことに長年打ち込んで、その道を極めるのって、すごく憧れます。まあ、キャリアがどうあれ、一度きりの人生なんで、悔いのないよう、チャレンジしましょう。こんな笑えるような履歴の持ち主だって、元気に生きてきてるんだからね~。